特価 マストロベラルディーノ・ヴィッラ・デイ・ミステリ・ヴェンデミーア2004年
特価 マストロベラルディーノ・ヴィッラ・デイ・ミステリ・ヴェンデミーア2004年
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1650年 初代:ロレンツォ・ベラルディーノ誕生
1695年 2代目:ピエトロ・ディ・マストロ・ベラルディーノ誕生
ピエトロが「マストロ(マスター、名工)」の称号を得た際、「マストロ・ベラルディーノ」という名前を採用。(この時「マストロ・ベラルディーノ」と2つに分かれていた)
1700年頃 アトリパルダに自社のセラーを築く
1725年 3代目:ロレンツォ・マストロベラルディーノ誕生
1750年 4代目:サビーノ・マストロベラルディーノ誕生
1750年頃 ワインを含む、地域の重要な農産物、貿易産物で既に高名になっていた
ワインメーカー、ピエロ・マストロベラルディーノが、「マストロベラルディーノ会社」を設立
1775年 5代目:ヴィート・マストロベラルディーノ誕生
1803年 6代目:ミケーレ・マストロベラルディーノ誕生
1850年 7代目:アンジェロ・マストロベラルディーノ誕生
1878年 地元の商工会議所と共に、「カヴァリエ(騎士)」アンジェロ・マストロベラルディーノにより、正式にマストロベラルディーノが登記される
1886年 8代目:ミケーレ・マストロベラルディーノ誕生
1928年 9代目:アントニオ・マストロベラルディーノ誕生
1950年代後半 第二次世界大戦とフィロキセラ被害で、1950年代後半にはフィアーノ・ディ・アヴェッリーノ種とグレコ・ディ・トゥーフォ種は、事実上絶滅したと考えられた。
1960年頃より カンパーニャ、イルピニアの畑に対する、2世紀以上もの投資をしてきたが、さらに優れたブドウ畑をイルピニア地域において改革していく為の40年プロジェクトが始動。この地域におけるブドウ栽培の最大限の可能性を評価できるよう計画され、現在も継続している。このプロジェクトは、結果としてマストロベラルディーノの現在のトップクリュとなった。
1966年 10代目:ピエロ・マストロベラルディーノ、アトリパルダで誕生
1980年 地震で貴重なセラーがダメージを受けたことで、ワイナリーやその施設の改善を余儀なく迫られ、結果、ルネッサンス(再生)へとつながる
1986年 イルピニア地区で続く地震のなか、マストロベラルディーノの地元への愛情はさらに強まり、「カヴァリエ」アントニオ・マストロベラルディーノがタウラージに新たに「ラディーチ(根源、根っこ)」と名づけた。地震で不安が募る中、それでもこの地を離れず、ワインを造り続けること誓いを立てた。
1990年 ピエロ・マストロベラルディーノがワイナリーに入社
1992年 タウラージがDOCGへ昇格
1996年 イタリア大統領政府によって支援されたポンペイ遺跡の考古学局が、ポンペイ遺跡でのブドウ栽培再現を目的とした「ヴィッラ・デイ・ミステリ プロジェクト」の先導者としてマストロベラルディーノを任命。
1998年 ピエロ・マストロベラルディーノがフォッジャ(プーリア州)の州立大学において、経済・経営管理の教授として任命される。
1990年代後半 ワイン製造過程の管理を目的とした試作品を創造する為の神経回路網研究プロジェクトを着手する。このプロジェクトの大きな成果は、「artificial nose (人口鼻)」という、ワインに含まれている様々なアロマを検知・分類が可能なシステムをマストロベラルディーノによって発表できたことである。ボルドー大学のデュブルデュー教授と共同開発。
2000年 継続中のプロジェクトで、他クローン性の栽培、区画性についてフォーカスし始める
2002年 ピエロ・マストロベラルディーノがFedervini(全国イタリアワイン生産者連合)の議長に就任。その後、10年間に渡り連合を取り仕切る。
2003年 フィアーノ・ディ・アヴェッリーノがDOCGへ昇格、 グレコ・ディ・トゥーフォがDOCGへ昇格
イタリアのオークションだけで、ヴィッラ・デイ・ミステリの初の2001年が販売される
ピエロ・マストロベラルディーノがマストロベラルディーノの社長に就任
2005年 ヴィッラ・デイ・ミステリの2002年がアメリカ市場で販売される
イルピニアがDOCへ昇格